当初は北山一郎市長が、昭和6年に建立したが、昭和18年戦時物資供出で消滅。その後、昭和31年に横山實市長
が再建した。
篠原は鹿児島市の生まれ、明治15年に青森に移り、乗り合い馬車を4台購入し、青森―弘前間の貨客輸送を始め
た。その他に明治24年に東北本線が開通し、その輸送で北海道との果物・雑穀の流通で莫大な利益を得た。
その後、青森市に5台の自動車を寄進したが断られ、自ら運送事業を行い採算に合う事業であることを市に認めさせ
米国産T型フォード車のバス6台と15000円の運営資金を付けて市に寄贈した。この金額は現在価格では数億円に
相当する。
なお、明治13年が東京都の公営の運送事業開始であるから、青森は明治15年と、それに次いで二番目の早さであった。
「青森市営バス生みの親」とも言われている。
安政2(1855)〜昭和5(1930) |